2003-10-09
voltaire's quote - not quite
部落解放同盟の全体主義的傾向を批判した僕の記事 部落解放とアナクロニズムと言論の自由 のなかで、Slashdotにあったストーリー 奈良県全市町村が共同でネット掲示板への差別投稿をチェック を紹介した。このストーリーにあった発言のなかで、pao氏はヴォルテールの有名な言葉を引用して表現の自由を端的に、そして効果的に表現していた。» [#337721] Re:憲法14条 (Slashdot Japan)
表現の自由を考えるなら、ヴォルテールの言葉に立ち戻るべきです。
「私は貴方の意見には反対だ。 しかし、貴方がそれを言う権利を、私は命にかけて守ろう」
しかしこの発言は実はヴォルテールのものではなかった。
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ヴォルテール Voltaire (1694-1778) は本名をJean Francoise Marie Arouetといい、18世紀、フランス革命前のヨーロッパで活躍したフランスの自由人だ。多才な彼はあるときは詩人であり、あるときは戯曲家であり、またあるときは小説家であり、そして常に自由を愛した思想家であり、自由と寛容の守護者であった。
未だブルボン王朝による封建制が敷かれていたフランスに幻滅し、彼は若くして海を隔てた王国イングランドに渡る。彼は英国で理想を発見した。その当時の英国はフランスと同じ王制でありながら議会が機能し、宗教に寛容で言論の自由・報道の自由が存在し、植民地経営で豊かな経済力を持った法治国家だった(勿論、「ある程度」という註釈がつくが、その当時の基準からすればということだ)。これをまとめたのが「哲学書簡」 Lettres Philosophiques (Letters on the English) である。
英国から帰国後、フランスの王朝と教会を批判したこの書簡集は封建制の維持に躍起な当局によって発刊された翌年の1734年、発禁処分を受け、焚書とされた。その後、ヴォルテールは詩や戯曲などを発表しながら、1759年、リスボンの地震にヒントを得た諷刺小説「カンディード」 Candide ou L’Optimisme (Voltaire Foundation) を発表した。
常に彼が自由と寛容を訴え続けたのは1761年に起こったカラス事件 (SYUGO.COM) からもよくわかる。カラス事件の発端はカトリックの勢力が強いトゥールーズの町でカルバン派のプロテスタントであったJean Calasの息子Marc-Antoineが自殺したことだった。しかし、当局はMarc-Antoineがカトリックに改宗しようとしたことから父親であるJeanが彼を殺したとした。Jeanは逮捕され、翌年、処刑された。家族は財産を没収され、離散することとなった。
これに腹を立てたのがその頃、スイスに近いフランスの Ferney にいたヴォルテールである。ヴォルテールは家族を自分の領地に保護し、事件を調査した。その内容を書いたパンフレットをロシアからアメリカ、英国に配布(勿論、当地フランスでは発禁となった)、ついには他国の王族を動かし、パリでの最新を実現させた。そして1765年、Jeanの死後3年経って無罪を勝ち取った。
このように迷信や狂信 fanaticism を嫌ったヴォルテールは議会政治・保守思想の重鎮 エドモンド・バーク Edmund Burke と共通点が多い。ヴォルテールが自由社会や差別・偏見からの解放を主張する一方で、保守主義の祖といわれるバークも実は保守的な王党派であったToryではなく進歩派のWhigだった。バークは王朝を倒し、伝統を一切否定したフランス革命に反対したが(「フランス革命についての省察」 Reflections on the Revolution in France)、ヴォルテールもまた英国の議会制民主主義・立憲君主制に感銘を受けたひとりである、存命していれば確実にフランス革命には反対したことだろう。
バークはヴォルテールが無神論者であることが気に入らなかったようだが、無神論者といわれる(無神論者ではなく理神論者 deist だった意見もある)ヴォルテールは社会の安定に宗教が必要なことはわかっていた。彼の行動は確かに合理主義的だったが、実際は経験主義的アプローチだった。
ヴォルテールは晩年。パリに家を買い、戯曲を書いた。その劇が上演されると民衆はヴォルテールに喝采した。そのまま彼はパリで死を迎えた。しかし彼が生涯批判した教会に墓地に埋葬されることは許されなかった。彼が啓蒙主義を説いたルソー Rousseau とともにパリのパンテオンに埋葬されたのはフランス革命後の1792年のことだった。しかし、その20年後の1814年、王政復古でふたたびフランスに王制が一時的に戻ると、彼の墓はルソーとともに掘り返され、死体はどこかに運び去られた。それ以来、彼の遺骸は見つかっていない。
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ヴォルテールはその生涯のなかで数々の格言・名言 (Wikiquote) を残した。最初に掲げた名言はおそらく次のものである(フランス語から英訳からか、ほかにもいろいろなバージョンがある)。
I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.
この言葉は手元にあるThe Concise Oxford Dictionary of Quotations Second Edition (Oxford University Press) の"Voltaire"の項にも載っていたが、しかしAttr. in S.G. Tallentyre, The Friends of Voltaire (1907), p.199
とある。
先のWikiqouteにも説明書きがあった。これをもっと詳しく説明したWebページが Warm-up Activity - Is That A Fact? - Voltaire wrote (Bill Chapman's Classroomtools) である。結論をいえば、ヴォルテールが上の言葉を吐いたことは一度もない、書いたこともないということになる。どうしてそんなことになったのか?これを整理すると、
- この言葉はS.G. Tallentyre、本名 Evelyn Beatrice Hall という女性の著作 The Friends of Voltaire (1906) のなかで書かれたものである。
- この女性はヴォルテールの伝記 Life of Voltaire を書いた人間である。
- 彼女はヴォルテールがHelvétiusという男の著作が焚書されたことを知り、彼のことも彼の本も好きではないヴォルテールが焚書を批難する言葉を発したと書いたあとに
'I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it,' was his attitude now.
と続けた。 - つまり、彼女は「ヴォルテールは "今やあなたの言うことに賛成はできないが、私はあなたにはそれを言う権利があることを命を懸けてまでも守る" と言わんばかりの態度だった」と書いたのだ。
- そして上の言葉をヴォルテールが書いたものと誤解する者が出た。
ということらしい。しかしこの話にはまだ続きがある。この名言はHallが作りだしたものというほかに別の仮説も存在する。これはNorbert GutermanがA Book of French Quotations (1963)で引用のソース元として紹介したものである。ヴォルテールが1770年2月6日にM. le Richeという人物に宛てた手紙の中で次のように書いてある。
Monsieur l'abbe, I detest what you write, but I would give my life to make it possible for you to continue to write.
これが変化して最初の言葉となったというのだ。確かにこの「私はあなたが書いているものが大嫌いだが、命を投げ出してでもあなたがこれからも書いていけるようにしたい」という文章はそっくりだ。これってトリビア(フジテレビ)になる?
resources
- Bartleby.com: Great Books Online -- Encyclopedia, Dictionary, Thesaurus and hundreds more
- Sean Gabb - A Pamphlet (Sean Gabb)
- Voltaire - Wikipedia (Wikipedia)
- Great Historical Writings - Voltaire (Positive Atheism Magazine)
- Voltaire by Thomas S. Vernon
- Voltaire by Clarence Darrow
- The Calas Case (CATHOLIC ENCYCLOPEDIA)
- ライプニッツ × ヴォルテール(対戦型哲学史)
- CHAPTER LIX: FRENCH EMPIRICISM (History of Philosophy by William Turner, S.T.D.)
- Atheists and Their Fathers by Kerby Anderson (Probe Ministries Homepage)
- A biography of Edmund Burke (1729-1797) (From Revolution to Reconstruction)
- IV. History. The French Revolution. By Professor Robert Matteson Johnston. 1909-14. Lectures on the Harvard Classics. The Harvard Classics (Bartleby.com)
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父の祈りを - In the Name of the Father
久しぶりにダニエル・デイ=ルイス Daniel Day-Lewis 主演、北アイルランドにまつわる英国の冤罪事件をパワフルに描いた映画「父の祈りを」 In the Name of the Father をビデオで見た。素晴らしい映画だった。
この映画は実話を基に作られている。北アイルランド紛争 the troubles で英国本土への爆弾テロを繰り返したIRAの構成員とされ、1974年に起きたGuildfordのパブ爆破実行犯とされたGuildford Fourが1989年に無罪を勝ち取るまでをデイ=ルイス演じるGerry Conlonを中心に描いた映画だ。Guildford Fourの爆弾テロを手伝った罪で彼らととともに逮捕された、いわゆるMaguire SevenのひとりがConlonの父親Guiseppeであり、彼は獄中で人生を終えることになるが、Gerryとその父親Guiseppeとのぶつかり合いもまたこの映画のクライマックスだった。
» Guildford Four (INNOCENT - Fighting miscarriages of justice)
» 1989: Guildford Four released after 15 years (BBC NEWS)
» Life for a life sentences to warn the IRA (Guardian Century)
» Miscarriages of justice (Guardian Unlimited)
Guiseppeを演じたのは「ブラス!」 Brassed Off でヨークシャの炭坑のブラスバンド部に並々ならぬ情熱を傾ける年老いた指揮者を好演するPete Postlethwaiteである。彼はこの映画でも病に苦しむ、からだは弱いが鋼のような強い信念を持つ父親を熱演した。正直のところ、彼が獄中で亡くなるシーンには涙がこぼれ落ちそうになった。僕が涙ぐむことなど滅多にないことだ。» Pete's progress (Guardian Unlimited Film)
彼らをサポートする女性弁護士を演じたのはエマ・トンプソン Emma Thompson だった。前の旦那ケネス・ブラナと共演したシェークスピアの戯曲を映画化した「から騒ぎ」 Much Ado About Nothing で見せた知的でかわいらしいトンプソンとは違い、抑えた演技で普通にちょっと左っぽい女性弁護士を好演していた。
この映画の味噌は英国司法界を震撼させた冤罪事件ということだが、その背景として、IRAの爆破テロに焦った英国労働党政権が時限立法として成立させたテロ防止法 Prevention of Terrorism Act 1974 (CAIN) は警察になんら容疑もなく7日間拘束できる力を与えたことがある。結局、この法律は1992年まで続き、そのあいだに拘束された人間は7052人、そのなかで訴追されたのは14%、それ以外の殆どは弁護士に会うことも許されず、拘束されただけという。
» TERRORISING DEMOCRACY:THE TERRORISM ACT (Veto the Vote)
そして、9/11アメリカ同時テロ以降の英国でその愚行がふたたび繰り返されている。それがTerrorism Act 2000である。テロリズムに対処するためにいくら厳しい法律を作ってもそのテロを止めることができず、今でも北アイルランドの問題が解決していないことをわかっているはずなのに、またテロ防止という御旗を掲げて個人の自由・プライバシーを無視した法律を作成したのだ。
» uk: anti-terrorism laws and anti-war protesters (bigbrother.jp)
» 'Anti-Terrorism Legislation in the United Kingdom and the Human Rights concerns arising from it', text of a speech delivered by John Wadham (Director) to the Computers, Freedom and Privacy Conference, New York, 3rd April 2003 [pdf, 118420 bytes] (Liberty Human Rights)
現在の政権も1974年にテロ防止法を作った政権と同じ労働党政権である。トニー・ブレアも内務大臣であるDavid Blunkettもこの映画を一度観た方がいいだろう。ついでにUSA PATRIOT Act (EPIC) を作ったアメリカ・ブッシュ政権の者も。■






