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first created: 2003-09-10
last modified: 2003-09-10

2003-09-10

friendly: japan v senegal

miscellaneous

キリンチャレンジカップ2003 日本対セネガル戦が新潟スタジアムで行われた。飛車角金銀落ちぐらいのチーム編成でやって来たナイジェリアには3-0で圧勝したジーコ監督下の日本、しかし主力も日本まではるばるでやって来て、ワールドカップ2002のベスト8に残った実力を持つセネガルに1-0で敗れた。

スクオッドは前回のナイジェリア戦とほぼ変わらず。ストライカーの高原の代わりに大久保を入れ、柳沢とトップを組ませた。中盤やディフェンダーに変わりはなかった。しかし、前半早々の6分、右のコーナーからのボールをあっさりディフェンダーのディオプにヘッドで入れられて1-0、セネガルに先制を許した。

その後、前後半にわたって日本が押し気味にゲームを作るが、なんだか去年のワールドカップ開幕戦でセネガルがフランスを破った試合のように日本の攻撃を厚い守りで抑え、結局1-0でセネガルが逃げ切った。日本は何度か決定的なチャンス - サンプドリアに移籍しても相変わらず駄目な柳沢、その柳沢と代わって後半出場した京都の黒部は枠に入れるもくそも、前にボールを蹴飛ばすことすらできなかった。

今回、小野もオランダから帰国しチームに合流していた。その小野を73分までベンチに置き去りにした。遠藤と代わりピッチに立った小野は20分ほどプレイしたが、あまりにももったいない起用だった。ジーコは選手を殆ど替えようとせず、同じ選手で戦わせる。2006ワールドカップ予選が来年2月に迫った今、こちょこちょ変えずにチームを固定したいということらしい。しかし、まったく実績を上げていないこの11人のメンバーで果たしていいのか?いいわけがない。そしていつの間にかまた鹿島の選手が増え、彼の好みでチームを編成している。

自由にやらせてもらっているわりには結果が出ない日本。今日の試合でも身体能力は当然のこと、テクニックにおいても格段の差を見せつけられた。選手に自由を与え、その能力を発揮させるようなジーコの手法は間違っている。そもそも能力がないのだ。それをカバーするのは組織的な戦略であり、高いモチベーションを持って粘り強く戦うサッカーだろう。今の日本には泥臭さがまったく感じられず、お高く澄ました選手が甘やかされた環境で戦っているつもりになっている姿としか僕には感じられない。

来年早々ワールドカップ予選が始まる。このままだと日本はドイツには行けない。ジーコを一刻も早く解任するべきだ。サッカー協会は1年前に間違った選択をした。間違った選択を覆す正しい選択を今するべきだ。

water boys and full monty

books and films

昨夜、フジテレビで「ウォーターボーイズ」の最終回を見た(視聴率は関東で19.2%だったらしい)。このドラマは2001年、日比谷のシャンテシネでひっそりと公開、しかし意外にもロングランヒットを記録した映画「ウォーターボーイズ」をドラマ化したものだ。

僕は映画は未見である。この映画に竹中直人が出演していたことは知っていたが、主演の高校生に妻夫木聡が出ていたことも、このドラマにもクレジットされている杉本哲太や柄本明、眞鍋かをりなどが同じような役で出ていたことも知らなかった。さらにこのドラマにしても別に毎回見ていたわけではないので(ていうか、11エピソードの数回ぐらいしか見ていない)、なんでもかんでも学園祭でシンクロナイズドスイミングをしたい田舎の高校生(訛がまったくないが)たちの話という以外はストーリーもよくわからなかった。

何気にこのドラマの数回のエピソードを見たぶんでは若い者向けの、それも高校生とか中学生向けのドラマという印象だった。話もなぜかシンクロ公演中止に躍起な布施明演ずる教頭やメンバーの誰がやめるやめないといった話、まさに高校生級の恋の鞘当てなどだから?というものが殆どだった。

そんな他愛のないドラマをどうしてここで論評しているのかといえば、それは最終回のシンクロ公演を見ていて、シンクロナイズドスイミングと同じように女性が演じると当たり前だが、男がやるとなると違和感を感じさせる - ストリップショーを成功させるべく奮闘する英国中部シェフィールドの失業者たちをおもしろおかしく描いたコメディ「フル・モンティThe Full Monty を思い出したからだ。

そのシーンとはシンクロ公演の出し物のひとつ、プールサイドの観客の前で彼らがプールから上がって音楽に合わせて踊るシーンだ。そのダンスが競泳用の水着ひとつで腰をふりふりしたり、腰を突き出したりと殆ど男性ストリップの世界だった。そしてそのあとの演技で32人のシンクロ高校生がスイミングゴーグルを一斉に空に抛り投げる。これはまるで映画「フル・モンティ」のラストシーン、友人や家族の前でストリップを踊り終えたむさい6人の男たちがパンツを最後に脱ぎ、観客に向かって抛り投げるシーンと同じではないか!

「フル・モンティ」が6人の失業者が金儲けのために(始めた当初は金儲けだったが)ストリップをしたわけではなく、彼らが男の気概・プライドを昇華させるべくストリップを踊ったのと同じように、「ウォーターボーイズ」の高校生たちも単なる見せ物のためではなく、彼らの青春を昇華させるべくシンクロを演じたのだ。

勿論、「フル・モンティ」と「ウォーターボーイズ」を同じ枠で捉えるのは無理がある。一方は、意外性のある話をときには下品に、ときにはペーソス溢れる笑いで包んだコメディの傑作に対し、「ウォーターボーイズ」はありきたりの青春ドラマに墜ちた、子供しか見られないようなドラマである。しかし、「ウォーターボーイズ」の「」には水商売の「」がメタファとして織り込まれていたことを発見した今、自分が違った意味でこのドラマの最終回を楽しんだことを告白する。

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