2003-06-28
titanic and james cameron
昨夜から二晩続けて日本テレビで映画「タイタニック」 Titanic が放映された。「タイタニック」が最初にテレビ放映されたのはフジテレビだった。そのとき視聴率は30%を超えたが、ディカプリオが演じるジャックを妻夫木聡(ホリプロ)、ケイト・ウィンスレイが演じるローズを竹内結子が吹き替えしてとんでもないことになった(こんなことを曰っていたのですが)。今回はこのカップルを石田彰と冬馬由美というプロの声優が吹き替えした。しかし、しっくりこない声だった。「タイタニック」は吹き替えではなく字幕で見ろということかもしれない。
映画「タイタニック」が日本で公開されたのは1997年12月だった。当時歴代興収1位だった宮崎駿の「もののけ姫」を抜き去り、260億円の興収を記録した(2002年、同じ宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に破られたが)。
そんな「タイタニック」を僕は決して観に行かなかった。まず、みんなが観に行っているのが気に食わなかったし(僕は天の邪鬼だもん)、3時間を有に超えるエピック映画というのも気に入らなかったし(長い映画はあまり好きではないんだもん)、ディカプリオが出演するのも気に入らなかったし(彼の何がいいのかが僕にはわからん)、何よりも伝え聞いたストーリーが気に食わなかった(上流階級の女が野卑な下層階級に恋する、云々)。
タイタニックが沈没していくシーンはすごい迫力とか、ケイト・ウィンスレットの裸が拝めるといった話は十分僕の興味を惹いたが、「ターミネーター2」以来、ジェームズ・キャメロンの鼻につくヒューマニズムが僕を「タイタニック」から遠ざけるには十分だった(しかし、キャメロンが監督しないターミネーター最新作「ターミネーター3」 TERMINATOR 3: RISE OF THE MACHINES もまた魅力がないのだ)。
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映画は見事なスタートを切る。大西洋の深い海底に沈んだタイタニックに潜水艇を送り、宝を探すシーンから映画は始まった。結局、探し当てた金庫のなかからはお目当ての宝物は見つからず、その代わり、一枚の裸婦のデッサンが見つかる。その胸にはネックレスの大きなダイアモンドがあった。
そのデッサンのモデル - タイタニック沈没の生存者のひとり、年老いたローズが探査船に呼ばれる。彼女はそこで当時不沈 unsinkable といわれたタイタニックで起こった出来事を静かに語り始める。これは意表をつくオープニングだった。僕は監督としては二流のキャメロンが時系列にタイタニックを描いていくと思い込んでいたからだ。そんな賢い映画の作り方ができる男とは思っていなかった。しかし、この映画の素晴らしいオープニングをぶっ潰したのはそのあとに続く本編のストーリーのいい加減さ、脚本のだらしなさだった。
パブでの賭けに勝ったディカプリオ演じるジャックとその友人は豪華客船タイタニックの処女航海に潜り込むことに成功する。いくら野卑にディカプリオが演じようとしても、彼の子供っぽい整った顔からは彼が大きな夢を抱いた画家志望の青年には見えない。ディカプリオは華やかなケイト・ウィンスレットとのラブストーリーのために見た目だけのためにキャスティングされたかのようだ。
一方、ケイト・ウィンスレット演じるローズは母親に意地の悪い富豪の息子と無理矢理結婚させられそうになっていて、そのことですこぶる機嫌がよくない。そんなふたりが出会い、恋に落ち、熱く交わる。すべては映画が始まる前に予想されたものだ。先のデッサンは勿論、画家であるジャックがローズを描いたものだった。
何かの番組で「タイタニック」の何が嫌かと言ったら、ローズを描いたデッサンがあまりにひどすぎて、ほかにはばかみたいに金を使ったくせにデッサンに手を抜いたのが見え見えだったこととか言っていた。誰が言ったのかは思い出せないが、確かにひどい絵だった。それだけでもジャックの画家の才能を疑うには十分だった。僕にはローズがジャックに惹かれる理由が最後までわからなかった。そして多くの人間がこの映画に、ジャックとローズのロマンスに惹かれたのかは今でも理解できない。
Salon.comの映画評でStephanie Zacharekが指摘しているように、どの登場人物もそのキャラクタに深みがない。単純なのだ。1等船客である上流階級の人間はどいつもこいつも性根が腐り、嫌なタイプの人間に描かれ、2等船客は基本的に無視、そしてジャックを始めとする3等船客はみなハートを持った善人に描かれる。そして、自らも属する上流階級の人間に反発するローズもまた然りだ。金持ちであることに引け目を感じる、よくありがちなタイプだった。
まるで彼はプロレタリア革命を信ずるかのように勝手な紋切り型の階級意識を映画のなかで展開する。ちなみにWorld Socialist Web Site(wsws.org)という左翼系WebサイトでDavid WalshがA Titanic controversyと題して、キャメロンが正しく階級を描き切っていない、上流階級はもっとひどかったんだとコラムで主張しているのには笑える。
確かにタイタニック号で亡くなった3等船客は多い。男性・女性・子供を含めて528人が亡くなっている。生存率は実に25.21%である。一方、1等船客は女性・子供はほぼ生存、男性を含めた場合、生存率は62.46%である。しかし、男性の生存率でいちばん低かったのは2等船客である。たった8.33%しかいなかったのだ。この数値は3等船客の男性生存率16.23%の半分である。» Titanic Disaster: Official Casualty Figures and Commentary (Chuck Anesi's Web Site)
キャメロンの映画では1等と3等は(不公平に)描かれたものの、2等船客は最後まで演奏を続けた8人のバンドマンたちを除いてまったく描かれない。そして、2等船客の女性が86%生存したのに対し、8%の男性の生存率と3等船客の女性46%、子供が34%しか生存できなかったのに対し、3等の男性は16.23%生存したという事実はキャメロンが醜い階級描写と乖離するのではないだろうか。
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ジェームズ・キャメロンは1984年、出世作「ターミネーター」でアーノルド・シュワルツェネッガーの悪役としての魅力を見事に引き出し、低予算映画ながら機械対人間の対決をスリリングに描き、楽しませてくれた。
さらにその3年後の1987年、キャメロンは「エイリアン2」で不気味なSFホラーだった第一作を女性であるシガニー・ウィーバーのリプリーが大活躍するSFアクション活劇に見事に移植してみせた。
「ターミネーター」から7年、続編の「ターミネーター2」では予算が上がるとともにCGもアクションもずっと派手になった。映画としても十分楽しめるものだったが、中だるみを見せる映画の中盤でキャメロンは何をとち狂ったのか、エンターテイメントだったはずのこのシリーズに強い反戦メッセージを押しつけ始めた。
戦う女性の主人公サラ(リンダ・ハミルトン)は人類を核戦争から救う救世主と化し、一方で、前作では怖いぐらいのはまり役だった悪役としてのターミネーターを演じたシュワルツェネッガーはこの映画の始めから善玉だったが、映画が終わる頃には単に善玉であることを超え、ヒューマニズム溢れる感情を持ったロボットに変質していた。
そして「タイタニック」が作られた。エスクワイア誌に連載していた新着映画評で柳下毅一郎はこの映画は壮大なラブ・ロマンス
と書いた。» タイタニック [初出『エスクワイア』98年2月号] (Kiichiro Yanashita's Murderous Page)
確かにこの映画はラブストーリーである。それもステレオタイプのヒーローとヒロインが繰り広げる出来の悪いラブストーリーである。それはおそらくジェームズ・キャメロンという監督が人間を描き込む能力に欠けていることに起因する。はっきり言えば、彼は人間の感情や反戦や反階級といったメッセージを描いてはならないのだ。彼がもっとも能力を発揮するのは「ターミネーター」や「エイリアン2」で見せてくれたアクション・エンターテイメントなのだ。
さらに柳下毅一郎は、キャメロンはタイタニック号とその悲劇の航海を再現したかったに過ぎない、映画「タイタニック」は単なる彼の自己満足の映画だとばっさり切り捨てた。240億円という大金を注ぎ込み、本物のタイタニックを潜水艇で撮影したり、船内の調度品や内装を忠実に再現したり、大きな船をこさえて撮影を行うぐらいなら、それぞれの乗客に訪れたドラマを描き込むべきと批判した。
一方、Stephanie ZacharekはRoy Bakerが忠実にタイタニックとタイタニックの悲劇を描いたもうひとつのタイタニック映画「SOSタイタニック」 A Night to Remember を引き合いに出し、キャメロンが犯した最大の失敗は彼が主人公であるはずの巨大客船タイタニックを描かこうとしなかったことだと看破する。それはくだらないラブストーリーにかまけて、不沈と言われたタイタニック号が氷山にぶつかって沈没したという悲劇を描くことができなかったという意味である。この映画のヒロインはいつもの魅力をまったく発揮することがなかったケイト・ウィンスレットではなく、まさに"SHE"だったのだから。
キャメロンは描くものを間違えたのだ。彼が得意としたものは人間ドラマを描くことでも、腐ったイデオロギーを説くことでもなく、ターミネーターというロボットであり、エイリアンという凶暴なモンスターであり、「アビス」で描いた海という未踏のミステリアスな世界だった。彼はタイタニックを描くべきだった。







