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first created: 2003-05-07
last modified: 2003-05-07

2003-05-03

日本国憲法 - the greatest ever constitution

politics and freedom

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今年はカレンダーがうまくいかず、連休が飛び石となってしまったゴールデンウィーク、その真ん中にある5月3日は休日である。何を記念しているかといえば、勿論、世界に名だたる世界最高の平和憲法「日本国憲法」(リンク先はいちばん見やすかった参議院憲法調査会からのリンクを使用した)の施行を記念した日である。

日本国憲法は世界でも名高い、戦争を放棄した憲法である。英語ではpacifist constitutionと呼ばれるが、その言葉通り僕たちの憲法はその前文で

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

と高らかに平和主義を謳い、日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふと宣言している(米英のイラク侵攻を支持した日本政府のことなど忘れたまえ)。素晴らしい。僕はこれほど高い理想を持った憲法を持つ国に生まれ、心底誇りに思う。国自らが僕らに高い理想を持ったとしても実現できなければ、結果が伴わなければ意味がないことを、口だけで実行しない者は誰からも尊敬されないという事実を教えてくれているのだ。

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この憲法が公布されたのは1946年の11月3日、そして施行されたのが翌年の5月3日である。その施行から2年後の1949年、中南米の国 コスタリカ Costa Rica (スペイン語でrich coastを意味する)では世界にも珍しい軍隊を放棄した憲法が採択される。問題はその理由である。

コスタリカは19世紀にスペインから独立後、中南米では珍しく早くから民主主義が根付いた政治的にも安定した小国である。そんな美しい自然に恵まれたコスタリカは19世紀、アメリカの征服者(filibuster) William Walker (Alex Coxによって1987年に映画化された「彼」である)によって征服されたとき、彼らは軍隊を組織して戦い、見事にWalker一派を追っ払った。

20世紀に入り、1948年、コスタリカは内戦を経験する。内戦は40日間続いた。選挙に勝ったOtilio Ulate BlancoとJosé (Don Pepe) Figueresは大統領選挙の結果を受け入れない政権に対して反乱を起こす。そして彼らは軍事的に勝利を収め、政権を樹立する。

興味深いのは内戦を引き起こした前政権も最低賃金や失業手当を導入するなど労働者の権利の拡大に力を入れ、クーデター後の政権もまた黒人や女性に参政権を与え、軍隊を廃止した左翼政権だったことだった。

そして軍隊を廃止した理由は2万人の市民が亡くなった戦争のあと、このような悲劇を2度と起こしてはならない、世界の平和を希求するからではなく、厳しい内戦を経験し、彼らが到達した結論は軍隊に金をかけるぐらいならば、その金を国民の生活に使った方がいいという経済的なものだった。

このコスタリカ式平和憲法は90年代、ハイチとパナマの軍隊廃止に大きな役割を果たす。コスタリカの大統領だったOscar Arias Sanchez(1987年にノーベル平和賞を受賞)が力添えをしてハイチを非武装化した。このとき、ハイチ国民は民主化される前に非道の限りを尽くした国軍を残すよりも非武装化によってもたらされる経済的な効果と安定を望んだのだ。

一方、パナマ運河を擁するパナマはアメリカに従わなくなったCIAエージェントManuel Noriegaがアメリカに追放されたあと、同様の理由で非武装化されたものの、パナマ運河という要衝からアメリカの軍隊が派遣されるということは暗黙の了解らしい。

いずれにしてもこの中米の小さな国々で起こった非武装化の波はマッカーサーの率いるアメリカ占領軍が日本に押しつけた極度にばかばかしいほど理想化された憲法と違い、軍部による圧制の痛みや経済的な理由から押し寄せてきたものだ。そして日本国憲法とコスタリカの憲法との根本的な違いは前者がその憲法第9条で

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

とはっきりと軍備を否定しているのに対し、コスタリカの憲法ではその12条で

恒久的制度としての軍隊は禁止する。
公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する。
大陸間協定により若しくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。いずれの場合も文民権力にいつも従属し、単独若しくは共同して、審議することも声明・宣言を出すこともできない。

大陸間協定により若しくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができることを盛り込んでいる。» コスタリカ共和国憲法(姫路獨協大学法学部 吉田 稔 訳)

それは19世紀にコスタリカを侵略しようとしたWalkerを追っ払ったように、1948年に当時の政権の理不尽な行為に対して内戦という犠牲を払いながらも民主主義の原則を守り通した歴史が彼らにその条文を当然のこととして書かせたものかもしれない。

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共産党社民党公明党(=創価学会)、そして民主党自民党に巣くう左翼一派は平和憲法を持つ日本という国がほかの国の人々から尊敬されているものと思い込んでいる。しかし実際のところ、外国の人々はSonyが日本を代表するエレクトロニクス企業であることを知っていても日本が彼らの誇る平和憲法を掲げていることなど知らない。

それは日本という国がその憲法の前文にあるような平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思っていたかもしれないが(それは非常に疑わしい)、それを国際社会に対して決して訴えることはなかったからだ。

僕たちの父親の世代は一国平和主義の下、我を忘れて懸命に働き、敗戦のショックを、敗戦の悔しさを経済復興によって忘れ去ろうとしてきた。もしくは世界第2位の経済規模を持つ大国になることで打ち負かそうとしてきた。一国平和主義はそんな戦後日本にとって格別に都合のいい道具でもあった。

その経済力は国際政治に強い影響力を有するユダヤ人のように経済だけではなく政治的にも大きな影響力を日本にもたらすはずだった。しかし、日本が国際社会に対して何を主張してきたのだろう?何も主張してはこなかった。なぜなら日本が国際社会に対して言葉を発することすらないに等しかったからだ。金儲けに忙しくて語りかけることすら忘れてしまっていたかのように。そんな国を誰が尊敬しよう。せいぜい戦争で滅茶苦茶にされた街の残骸から復興した経済に対する羨望の眼差しぐらいのものだ。

もし日本国民が本当に日本国憲法に誇りを持ち、本気で世界平和を希求するのであれば、僕たちはアメリカ占領から独立を果たしたあと、アメリカと同盟を組むべきではなかった。そして第9条に恥ずかしげにもなく書かれた戦争放棄を真に信じるのであれば、勿論、自衛隊なんていうふざけた言葉遊びに耽るべきではなかった(自衛隊は違憲以外の何者でもない)。

しかし、冷戦という国際情勢が許さなかった。現実問題としてアメリカの尻尾にしがみつくほかなかったし、中国や北朝鮮、ソ連という共産主義国家に周りを囲まれた日本として再軍備せざるを得なかった。もうこんな言い訳はたくさんだ。

世界で唯一原爆を落とされた国、戦争という野蛮な行為に打ちのめされた国として平和憲法を持ち、平和をこよなく愛する日本国民という表向きの顔の裏に、プラクティカルな問題から、現実的な問題からアメリカと同盟関係を保持し、軍隊を持ち、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄したはずの日本がイラクに対して堂々と武力による威嚇そして武力を行使したアメリカを頭の先から爪の先まで支持する、そんな日本が尊敬されてたまるか。

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何がなんでも紛争を武力 - 戦争という行為で解決してはならないというお茶目な論理は決して日本人だけのものではない。それはイラク攻撃反対で盛り上がった反戦運動でも、戦争に参加するイギリスの女子高生も叫んでいた。しかしその彼らのそんな無邪気な叫びは「イラク」だったからこそ一般人には響かず、そして彼ら自身にも響くことはなかった(当人は気がついていないからかもしれないが)。日本人であれ、イギリス人であれ、アメリカ人であれ、オーストラリア人であれ、フランス人であれ、ドイツ人であれ、イラクは遠い国なのだ。

ところが、それが近くの国の問題となると話は変わる。もしそれが北朝鮮だったら、日本人は安穏と「戦争はんたーい」とか、3月、深夜の国会で応酬された横須賀を母港とするキティホークがイラク攻撃に参加するのは日米安保条約では規定されている・いないといった与野党の茶番劇を部外者の気分で傍観するわけにはいかない。

ボスニアでもコソボでも東ティモールでも、民族自決を求める住民が殺されていく。それを救ったのは武力による国際社会の介入であり、住民たちの抵抗である。そして、北朝鮮という気狂い国家が日本に対して戦争を仕掛けてきたとき、日本国政府が取るべき行動は武力を用いた日本国民の保護だ。

勿論、大部分の日本人は国際社会に厳然と存在するパワーゲームを知覚し、今まで平和憲法を持っているのにもかかわらず堂々とアメリカと同盟を結び、軍隊を組織してきた。それをやむを得ないと感じているのであれば、憲法を、少なくとも第9条を破棄することでそのもやもや感から解放され、危機が発生したとき、より適切な対応が取れるはずだ。そして、国連の平和維持軍への参加を通して、平和をもたらすものは自分が丸腰になるとか、平和を歌い上げることではなく、また、話し合いだけが紛争を解決できるものではない、ときには武力が必要なこともあることがわかるはずだ。

バブル崩壊後の日本経済の低迷、そして出口を見出せない現代日本に一国平和主義、only経済大国に限界をはっきりと認識した今こそ、北朝鮮という「ならず者国家」に脅かされる日本を哀しいまでに認識した今こそ平和憲法の呪縛を取り払うときだ。日本国憲法の愚鈍なまでの理想主義ではなく、アメリカが推し進める武力によるアメリカ型民主主義の伝播という対角線上に存在するもうひとつの理想主義でもない、現実的な選択肢 - それは第9条を白紙に戻すことである。きっと日本国憲法は今のようにくすんだ言葉だけの憲法だったものがその息を吹き返すに違いない。

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junk food review #03: おとうふサンド

miscellaneous

マクドナルドの新メニュー new tastes menu™ からおとうふサンドを試した。

プレミアムマックが失敗だったのは前回書いた。おとうふサンドは果たしてどうか、結果は合格だった。ていうか、結構うまかった。豆腐というか厚揚げサンドの色合いが大変濃かったが、酢が少し利きすぎと思ったものの味自体は決して悪くなかった。しかし、相変わらずバーガーに手作り感が見られない。手作りではないからしようがないのだろう。マクドナルドが本当に自分らの製品に高級感を出したいのであれば、もう少し新鮮さを出してほしいものだ。

おとうふサンド
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