2002-10-29
Googleと検閲
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slash.jpのタレコミ Googleが独仏で「不法」ウェブサイトをフィルタ を読んでgoogleに対する不信感が増大。INTERNET Watchの記事によると、Harvard Law SchoolのBerkman Center for Internet & Societyの調査結果からgoogleがドイツgoogle.deとフランスgoogle.frでナチスや白人至上主義関連のweb siteを検索リストから排除していたことが明らかになったというのだ。» Localized Google search result exclusions
フランスのNGO L'Union Des Etudiants Juifs de France(仏ユダヤ学生同盟)とLa Ligue Contre Le Racisme et L'Antisemitisme(人種主義・反ユダヤ主義反対連盟)がYahoo!に対してナチスに関する記念物をオークションページにフランスからアクセスできないように求め、Yahoo!がナチス関係の出展物を下げるという事件があったが、今回はgoogleがその国の法律を怖れ、自主的にフィルタリングするという、非常に情けないgoogleの姿勢が露わになった。だからこれからはAlltheWeb.com 日本語だけのサイトといった検索はできないが(できます:2002-11-13追記)、2バイト文字も問題なく検索できる。■
不正侵入: Intentia v Reuters
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同じInternet Watchの記事に「スウェーデンのIntentia社が英Reutersを不正侵入の疑いで提訴」というものがあった。これもslash.jpで話題になっていたが、Intentiaが自社のwebサーバにパミッションもかけずにただ置かれていたファイルを閲覧、決算報告前に財務状況を発表したReutersを不正アクセスで訴えたというもの。
議論としては、Internetの空間にアクセス制限もせずに置かれたファイルをダウンロードして何が悪いという意見と実社会でも覗けるからといって覗いたら処罰されることを引き合いに出し、リンクの張られていないファイルにアクセスするのは違法という意見に集約される。
TBCの顧客情報流出事件(TBC 個人情報漏洩参照)でもあったように、大切なファイルを誰もがアクセスできる場所に晒しておいてあとで文句を垂れるというのはInternetという空間のなかでは相手にされないのではないかと思う。誰もが自由にリソースにアクセスできる自由な空間として発展し、自己責任が基本となるInternetを実社会と比べて判断すること自体が限界に来ているのかもしれない。ちなみにTBCは今月、こんなお詫びを掲載していた。■
富士通 中間決算
富士通の2002年度中間決算の数字が出たようだ。最終損益はなんと1474億円の赤字。さらに9000人を対象にしたリストラを行うらしい。» 富士通中間決算は1474億円の赤字、9000人を追加リストラ (Mainichi Interactive)
同じMainichi Interactiveの記事によると、富士通とは対照的にSharpは液晶販売が好調なために増収増益、Canonもデジカメが好調なために大幅増益となったという(Canonって汎用ドメインを取っているんだね)。先日発表されたNECの決算も減収増益、Sonyや東芝も増収増益となっており、富士通だけがリストラ効果も出ず苦しんでいるわけだけだ。IBM真似てSolutionをビジネスの中核に位置づけて生き残りを目指しているようだが、富士通のような半ば硬直化したメーカーは果たして生まれ変われるのだろうか?早く@niftyを手放してほしいなぁ。■
宛先間違え
メールを間違えてほかの人に送ってしまうという、初歩的で考えられないミスを僕は犯してしまった。Becky!のアドレス帳から宛先を入力した際、間違えてふたり分のアドレスを入力してしまったようなのだ。間違えて送ってしまった友人には恥ずかしい内容の私信(別にいかがわしい内容のというわけではないが)を読まれてしまうし、本当の宛先の人とは顔を合わせることもできない。このことだけで十分鬱になる一日だった。■
吉本ばなな - うたかた/サンクチュアリ
「キッチン」の書評では、僕が吉本ばななの文体に女流作家ゆえかどうかはわからないが、なんか違和感を感じずにいられないと書いた。そして新潮文庫から刊行された吉本ばなな第2弾として今度は「うたかた/サンクチュアリ」を選んだ。理由としては小説が短かったこと(僕は最近、200ページを超える本に抵抗感がある)、これに尽きる。そしてこの2遍の中篇小説を僕はあっさりと、あと何ページあるか後ろのページをまったくめくることもなく読み終えた。そして驚いたことは、今回、彼女の文章・文体に対する違和感を殆ど感じずに読み終えたことだ。
「うたかた」「サンクチュアリ」とも「キッチン」と同様、主人公の恋と家族をテーマにした作品だ。「うたかた」が「キッチン」のように女性が主人公 - ストーリーテラーとなっているのに対し、「サンクチュアリ」では大学生の男を主人公にそえた。そして「サンクチュアリ」では一人称ではなく三人称で小説は書かれた。語り手が一人称であれ、三人称であれ、それはその作品の出来不出来には関係ないと思う。しかし、一人称の小説が三人称の小説に比べ、小説そのものに奥行きを持たせたり、物語を広げるのは難しいのは確かだろう(一人称小説の利点については面白い考察があるが)。三人称で小説を書けるようになって初めて、豊穣なストーリーを持つ小説を書けると言えるのではないだろうか。「サンクチュアリ」はただの恋愛ストーリーに収まらず、その文庫本で80ページに満たない短い小説のなかで、自殺・死別といった重いテーマをこれまでの吉本ばななの小説にはあまり見られなかった彼女の成長を感じさせる深い描写とともに描き切った素晴らしい中篇だった。
うたかた
「うたかた」ではひとりの男と妾とのあいだに生まれた主人公である女の子、人魚(本当にそんな名前なのだ)とその男の家の前に捨てられ、そのまま男の家で育てられた若者、嵐との恋物語と人魚の父親である無軌道な男とその妾(人形の母親)の細い糸で繋がっているように見えながらどこかでしっかり繋がっているふたりの関係を軸に話は紡がれる。
男と妾という関係ゆえに敵わぬ家庭生活、そして妾の子供である人魚と彼女と比べさらに不遇な出生を持つ嵐との恋愛は常にこの小説に影を投げかけるが、この小説には悲劇が訪れることはなかった。いや、悲劇が訪れようとしたとき、光が同時に射すのだった。
******
勝手な行動で財産を浪費する人魚の父親がいつものフーテンさを発揮してネパール・カトマンズに旅行に出る。彼との生活を夢見る人魚の母親は彼とともにカトマンズに旅立つ。高地カトマンズの滞在は彼女の健康を蝕み、精神的にも肉体的にも最悪の状態に陥る。彼女は失意のうちに帰国を余儀なくされる。
一方、同じ家族でありながら会ったことがなかった、日本に残されたふたり−人魚と嵐は初めて顔を合わせ、そして一緒にいるうちに恋に落ちる。しかし、どうしてもカトマンズを離れようとしない母親を送り返す役目として彼もまたカトマンズに向かう。母親は日本に戻って来たが、嵐はそのままカトマンズに残る。男とその妾、人魚と嵐、この二組の関係は東京とカトマンズのあいだに裂かれる。
東京に戻った母親はカトマンズに出かける前と比べ、まるでカトマンズに精気を奪われてきたかのように元気なく、自殺を考えるまでに落ち込む。しかし、母親の異常な落胆ぶりは人魚に行動を促す。父親に帰国を約束させ、父親が帰って来たとき、母親は元気を取り戻し、そして、人魚もまた何十年もまともに話すこともなかった父親を少しずつ理解し始め、彼らのあいだに家族として生活するという希望の灯が灯る。
小説は1週間後には嵐が帰って来ることを父親が人魚に告げる場面で終わる。希望と歓喜に溢れたラスト。残念なことに、その展開はこの小説が小説として深みを感じさせることなく終わってしまったことを証明したかのようだった。
サンクチュアリ
「サンクチュアリ」は違った。話は暗い海岸脇で泣きじゃくる女性と主人公の若者−智明が出会うシーンから始まる。智明が東京を離れたのは「とにかく疲れていて、ひとりでのんびりしたかった」からだが、どうしてそんなに疲れていたのか、どうして彼が東京でのリアルな生活から逃げ出したかったのか、それは最初にまったく説明されない。物語が進むに連れ、彼が逃げ出したかった理由、そして女性が海岸で泣きじゃくる理由が少しずつわかり始める。
この物語の構成からして、「サンクチュアリ」は小説としてずっと進歩していた。高校時代の友人である友子の自殺にショックを受けた智明、夫を交通事故で失い、自分の子供まで肺炎で失った女性−馨。智明は馨を知れば知るほど自殺した友子と馨をなぞらえずにいられない。しかし、馨の悲しみは智明に友子の死を逃げ出さずに受け止め、直視させた。それは馨が流した涙にある。
馨の涙は智明に悲しみの受け止め方を教えた。彼は自分が友子に対して無力だったこと、友子が自分を頼りにせずに命を絶ったことを責めていた。馨が泣く姿に智明は悲しみを受け止めることとは自分が悲しみを表現する、つまり「泣く」ことから始まることに気づく。彼女がどうして自ら命を絶たなければならなかったのか、どうして自分を頼ってくれなかったのか、そんなことに頭を巡らしていても進まない、まず悲しみを受け止め、受け止めることができて初めて死んだ友子を理解できるようになるのだ。
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「うたかた」と同様、智明と馨が生きる希望と喜びのなか、新しい一歩を踏み出すシーンで物語は終わる。「サンクチュアリ」は「キッチン」や「うたかた」にある奇抜で想像力豊かなプロットや出来事は決して起こらないものの、僕はこの小説に吉本ばななという作家の確かな成長を見た。アレルギーは消えたようだ。■
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